金沢区の歴史と抱える課題


鎌倉幕府東の拠点
神奈川県横浜市金沢区は鎌倉幕府と深いつながりの歴史があります。
現在の金沢区六浦町が「朝比奈切通」で鎌倉市十二所と結ばれており、幕府隣接の港町として、東京湾側の物流の要所でもありました。
その他にも、三浦半島に勢力も持っていた三浦氏や、房総の千葉氏を制圧するための海軍の拠点でもあったようです。
「朝比奈切通」はその重要性の高さから、1241年に鎌倉幕府執権である北条泰時によって再整備されたようです。この「朝比奈切通」 は、頼朝時代の侍所である和田義盛の三男である朝夷奈三郎義秀が一夜の内に切通を切り抜いたという故事 から名づけられています。この「朝比奈切通」は1969年に国の史跡に指定された由緒ある峠道です。

 

近代の金沢区
明治時代頃になると風光明媚な金沢区に多くの観光客が訪れていました。その美しい景観から、この土地に多くの人が別荘を持つようになったと言われています。江戸時代から続いていた農業や漁業、塩業は明治時代になっても盛んに行われていました。
昭和に入り、横須賀軍港や国際港横浜の影響などもあり、急激に都市化が進みました。戦後の金沢区は、高度経済成長期以降首都圏に近く海に近い温暖なベットタウンとして注目を集めます。住宅の開発が盛んにおこなわれ、市街地開発が進み、急激に人口が増加していきました。

 

現在に至るまでの金沢区
様々な歴史を得て急激な都市化や人口増加を経験した金沢区はこの後、金沢シーサイドラインの新設に始まり、首都高速道路湾岸線の延伸に伴い、臨海埋立部を中心に産業団地、海のレクリエーション施設の開発が行われました。金沢駅周辺では土地区画整理事業等による再整備が今日に至るまで続けられているようです。
このように様々な歴史と文化を生み出しながら発展を遂げ続けている金沢区ですが、街の姿はその都度変貌を遂げてはいますが、いつの時代であっても地理的要衝の地であり続けており、その時々に最新の生活文化が育まれてきました。そういった様々な歴史と多彩な文化の影響により魅力的な地域が生み出され、現在の金沢区が成り立っていると言えるのかもしれません。

 

金沢区の問題点
現在の金沢はこれまで増え続けていた人口の減少問題に直面しています。人口減少に加え、住んでいる方々の高齢化も目立ち始めています。街自体の魅力は十二分にあり、人口減少はそれほどの問題ではないかもしれませんが、高齢化した人々の生活をいかに快適なものに変えていけるのかが課題だと考えられています。
通勤のしやすさや職住環境の隣接化など、高齢者のケアも含めたコンパクトな街づくりが求められています。こういった課題を克服した時、また金沢の人口も増加していくのではないでしょうか。